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■ 2015年11月:KEY WORD 考える葦

 最近、年のせいなのか自分の生き様について考える事があります。前回のオイロン通信で小学6年生の時の事を話しましたが、その後の人生においても思い出すことがあります。私の通った中学校は、小学校3校から集まり、自宅から約2,5Kmあり自転車通学でした。入学式の日のことでした。式を終え、私達は其々のクラスに入りました。担任の先生は数学が担当で、全員の名前を呼んだ後、先生からの言葉がありました。先生は黒板に「人間は考える葦である」と書かれたことを覚えています。中1生にとってはあまりにも難しくて、何の事かも分かりませんでした。おそらく先生は説明されたのでしょうが、詳しくは覚えていません。当時は「葦」ではなく身体の「足」としか理解できていなかったかもしれません。何年か後にその言葉がパスカルの言葉であったことを知りました。パスカルの生まれたフランスでは「葦」が弱いものの代表で、人間の比喩に取り上げられていました。河畔に生えている葦は、強い風が吹くと弱いために、すぐしなって曲がってしまいます。風に抵抗できないのです。いや抵抗せずに、しなって敗北するのです。しかし、河川の堤に生えている樫の木は、風が吹くとしならず抵抗します。抵抗して風に勝利するのですが、繰り返し風が襲ってきて、何時か強い風に倒されて、根元から折れてしまいます。賢明に自らを知る「葦」は、風が吹くとそれに身を任せてしなり、逆境の中で、一見屈服したように見えるけれど、風がやむと徐々に身を起こして行き、再びもとの何ごとも無い姿に戻って微風に揺られています。これが人間への比喩とわかりました。人間は自然や運命の暴威に対して無力ですが、それに従順にしたがい、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように自らの姿で立ち上がることができます。自然界の中でたいへん弱く、簡単にしなるのですが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しません。そして何よりも人間は考えることが出来、考える精神を持っているのです。自然の力、暴威の力を無自覚な風に例えるならば、人間は賢明で優れた存在なのです。後で思えば少し理屈っぽい先生でした。中1生には難しかったのですが、頭のすみに残っていれば、同級生達も私のように意味を調べているに違いありません。

 同じように高校の卒業式の時の言葉も覚えています。校長先生は当時のスタ-美空ひばりさんの「柔」の歌詞の一番を話されました。「勝つと思うな、思えば負けよ、負けてもともとこの胸の、奥に生きてる柔の帯が、一生一度を、一生一度を待っている」私が高校三年生の10月に開催された「東京オリンピック」で日本のお家芸である柔道が大活躍しました。その余韻の冷めやらぬ初冬にシングル盤が発売されて爆発的に大ヒットした歌でした。私には歌詞だけが頭に残り、校長先生が歌詞の後、何を比喩されたか覚えていませんが、カラオケで「柔」を聞くと校長先生の姿、当時の友、恩師、式場が脳裏に鮮明に浮かんできます。

 卒業式や入学式には必ずと言っていいほど、名言・格言、心に残る言葉が話されます。皆さんはその時の言葉を覚えていますか?難しくても後の人生に考えさせられる言葉、ユニ-クで意味は覚えていなくても、心の奥に秘められた言葉というものが誰にでもあるものです。私達の職業は、正にその渦の中にあります。言葉は心の支えの杖になりますが、暴力にもなります。上記の2例は心の支えの杖ですが、私にも罵倒されたり、立ち直れないほどの言葉をぶつけられたりした事があります。「いじめ」にもあった事があります。大人になってから意見の相違から大声でやりあった事もあります。しかし、中学生、高校生は成長期です。心に響く、一生持って行ける言葉があれば生徒は「考える葦」になれます。面接がその場です。「面接の心得」はバイブルです。

 生徒が、ご父母が、あの時、あの人の、あの言葉が「葦」になっていると思ってくれたら・・・。あなたならどうしますか?(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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