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■ 2015年03月:KEY WORD 平和

 昨年の暮れから今年の初めにかけてIS(イスラム国)の非道な行為が報道されています。日本は安全な国と思っていましたが、ISは日本も敵対する国と宣言しました。ISが出来た経緯はイラク戦争と言われています。イラク戦争から今までの経緯は新聞等で勉強してもらうとして、今月は平和について考えましょう。

 我々は、学校で、軍事的にも思想的にも中立国で安全な国はスイスだと学びました。10年前、我が家にスイスから交換留学生として1人の高校生がホ-ムステイしました。彼は頭脳明晰な生徒で、スイスでも成績がトップクラスの学校に通い、将来は弁護士として日本とスイスで働きたいとの希望がありました。日本で高1の9月から高2の8月まで1年間を過ごし帰国しました。高校を卒業後2年間の兵役に就きました。スイスの男子ならば国民の義務です。兵役を終えたのち、再度、日本語検定1級取得のために我が家に5ヶ月間ステイしました。彼とは、国家について、世界の中のスイスについて、スイスから見た日本について話しましたが、彼の自国に対する愛国心は半端ではありませんでした。小・中・高校では、自国と世界の歴史と現在を多くの時間をかけて勉強し、自分なりに結論を出すようです。自国を愛するけれど他国を卑下するものではありません。中立国としての学校教育が行き届いていると感じました。彼の帰国後、スイスの親御さんから招待され、私はスイスに行ってきました。彼の家は、大きな湖に面した広い敷地に建つ平屋で、玄関の横の階段を降りると、地下には「核シェルタ-」がありました。入り口の扉の厚みは30cmほどあり、部屋は大手銀行の金庫の様でした。広さは8畳で、空気フィルターは放射能も通さないそうです。ショットガン2丁、半年間の食料、組立ベッドと生活用品が揃っていました。家の建築費の3分の1が核シェルタ-にかかります。これも国民の義務だとのこと。中立国・・考えさせられました。

 私が上京したのは1965年(昭和40年)の春でした。住居は墨田区向島で、浅草・上野に出る機会が多く、そこには傷痍軍人の方々が大勢いました。特に上野の西郷像の階段には白装束に身を包んだ傷痍軍人が、松葉杖でアコ-デオンを弾きながら通行人にお金を貰っていました。若い方は傷痍軍人を知らないでしょう。戦争で負傷した軍人が、(手・足・目が不自由なため)働けず、収入がないので、音楽を奏でながらお金を貰って生活費を確保していたのです。

 私が埼玉に家を建てた時、両親と兄姉が三重県からやってきました。父はどうしても靖国神社に行きたいと言いました。自分の兄弟、友人が眠っているので手を合わせたいとの希望でした。私の子供達も連れて靖国神社に行くと、参道の片側に太平洋戦争で亡くなった人達の手紙が掲載されていました。父はその中の1通の前で立ち止まり、目頭を押さえていました。それは知り合いの子供が特攻隊として出発する前日に母親にあてた長い手紙でした。綺麗な字で書かれた3枚の手紙には、国を思い、母親を想う文章が切々と綴られていました。父としては何万の戦没者の中から、知り合いの青年が書いた手紙が目の前にあるとは思わなかったでしょう。青年の面影が脳裏に浮かび、生きていたなら親孝行も出来たのに…と目頭を熱くしたのでしょう。

 スイス政府が行っている中立国としての平和教育、個人が個人として家族の生命財産を守りぬく環境作り。傷痍軍人の方の無念、不自由な身体。特攻隊として、国の平和、母の幸せを願い海に散ってしまった青年の命。それら全ての上に今の平和があります。

 皆さんは東京タワ-に登ったことがありますか?東京タワ-は平和のシンボルです。東京タワ-が出来た時、日本はまだ敗戦の影響で世界からの統制経済でした。鉄鉱石やガソリンは思うように輸入できません。東京タワ-の3分の1の鉄鋼は朝鮮戦争で廃棄になった戦車60輌がGHQより払い下げになった物です。力強い4本の地に着いた足は平和のシンボルです。
 先人が築き上げた平和な日本を守ってくれる政治家を選びたいものです。(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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