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■ 2013年07月:KEY WORD 運命

5月の日曜日の夕方、次女がくも膜下出血で倒れ、救急車で病院に搬送されました。救急車から公立の病院に受け入れの要請をしましたが断られました。市内の大学病院に行く途中、救急車から病院に患者の様態を通知していましたが「レベル3の100」です。だから公立病院も断ったのかも知れません。大学病院に着いて医師から、1/3は重大な結果、1/3が寝たきり、1/3が後遺症の人生、と告げられました。私も両親を見送りましたが、その時の感情と全く違います。親として代われるものなら代わってやりたい、孫たちの行く末やこれからの家族はどうなるのか、頭の中は錯乱状態でした。病院に着いたのは日曜日の午後6時過ぎであったにも拘らず、脳外科専門の先生が当番医で、すぐに娘の治療に専念してくれました。手術が済み、意識を取り戻した娘の姿を見た時には、万物に手を合わせて感謝しました。お医者さんの患者の命を取り戻そうとする責任感、使命感、倫理観、人間味はどこで養われるのでしょう。学生時代の6年間、2年間でしょうか。それとも病院という環境でしょうか。本当に有り難い事です。娘は奇跡的に順調に回復して退院。今月の検診で後遺症もなく、社会復帰できます。もし娘がこの病院に運ばれてなかったら、あるいは脳外科の先生が不在だったらと思うと、運命的な事を感じます。

私が中学生の時、3年生からは進学組と就職組に分かれることになっていて、それを決めるのが中2の3学期でした。我々の時代は、中卒者は「金の卵」と言われて、私の通学する中学校も進学組、就職組の人数は5分5分でした。東京オリンピックを3年後に控え、日本もまだまだ貧しい国でした。学力が優秀であっても就職する友人もいました。私の友は大阪、名古屋を一生の職場に決め、私も就職を勧められました。自分自身にも迷いがありましたが、父親の「高校へ行け」の一言で決心しました。

高校に進み、人生が大きく変わりました。高校で最初に友人になったのは3歳年上の人でした。彼は学力が抜群でしたが、経済的な理由で一度は大阪に就職しました。そして3年間で学費を貯めて入学してきました。彼は、社会は学歴主義であり、中卒と大卒では社会の受け入れに大きな差がある事を私に諭してくれました。大学も行けば良いわけではなく、会社には学閥があることも教えてくれました。その言葉は教師よりも説得力がありました。彼に会わせてくれた神様にも運命を感じます。

大学2年の時、専門科目が追試になり、隣に座った友人達が一生の友となりました。卒業時から現在まで、年に1~2回欠かさずに4人で旅行に行っています。彼等3人から受けた有形無形の品々は、人生観を作る基礎になっています。友に会えた人生に運命を感じます。

現在の会社の経営の基本精神を教えてくれた、Dr.Coxとの出会いも運命的でした。友人に声を掛けられ、彼に逢っていなければ独立する気構えもできず、2つの会社も設立されていませんでした。この文章を読んでいる諸君とも出会えなかった。独立を決心した、27歳の暑い夏が思い出されます。

私は3回、心筋梗塞の手術を受けています。1回目は7年前、運転中に胸が急に苦しくなり車を止めたのが、以前から狭心症で通院していた病院の前でした。午後の5時、ふらふらと受付に行くと心筋梗塞で即入院、即手術、一命を取り留めました。2回目は同じ症状で入院。3回目は前回、前々回と症状が異なり我慢をしたため心臓に壊死が出来ましたが、何とか手術も成功しました。救急車で搬送されるのが1時間遅ければ・・・と主治医に言われた時にも運命を感じました。何が守ってくれているのか分かりませんが目に見えない糸があるように思います。

2年前の東日本大震災でも、私は震源地の石巻の高台にいました。地震が30分前におきていたら我々は海岸通りを走っていました。30分後なら海辺のホテルに着いていました。私の体は薬で生かされていますが、旅行には余分に1日分しか持参していませんでした。被害が大きく脱出するには1週間かかるとのこと。薬がなければ生きていけない私は覚悟を決めましたが、バスの運転手さんとガイドさんのおかげで、3日間で脱出することが出来ました。

私は完璧な運命論者ではありませんが、人生の折々に運命を感じます。落語の「死神」のように人生はロ-ソクの様なものなのでしょうか?友と社員に逢えた事を最良の運命と思っています。(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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