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■ 2012年12月:KEY WORD 心に残る言葉

9月の中頃、埼玉県が運営している「生きがい大学」(60歳以上の人達の知識向上、交流を深めるのが目的)のクラブ活動の一貫で、長野県に一泊旅行に行った時のことです。あるお寺で昼食の精進料理を食べた後、境内を散策していると、お賽銭箱の隣に一枚の印刷された紙がありました。大きさはB4版でしたが、書いてある言葉を見て、私は暫く釘付けになりました。固まってしまったと言っても過言ではありません。その言葉は、私が経営者として約40年間、自分を振り返るのにピッタリの言葉だったのです。その横には、大地震の寄付のお願いと書かれ、一枚100円と記されていました。100円のB4紙は、私には10倍100倍の価値がありました。言葉の内容は最後に書きますが、帰りのバスの中で、今まで心に残った言葉について考えていました。

小学生の時は、母親の影響が大きかったと思います。母はいつも「すべての原因は我にあり」と何度も何度も私に話していました。母からは他人の悪口や愚痴は聞いたことがありません。その教えの結果か、自分の判断ですが、私は愚痴の少ない方だと思います。また、他人の話していることが、私への相談なのか、愚痴なのか、明確な判断が付きます。60歳の半ばを過ぎると、騙された事、裏切られた事、被害にあった事など、数え切れないほどあります。これも母に相談すれば「すべての原因は我にあり」という答えが返ってくるでしょう。

学生時代には、友人の発した言葉が人生の指針になりました。その友人は貧乏だったが、心は豊かでした。彼のYシャツは洗濯されてはいましたが、至る所に綻びがありました。中でも手首から脇の下までの綻びは、腕を振ると腕の後から綻びたシャツが付いてくるほどでした。それを見て、私は彼に「そのシャツ何とかしろよ、恥ずかしいだろう」と注意しました。彼は「藤ちゃん、他人は自分が思うほど、自分の事を見ていないよ」と答えました。確かに田舎ではあるまいし、東京では他人に気を配っている暇はありません。この言葉には、見栄を張っても中身は変わらない、という深い意味があり、私はこの言葉にも今まで何度も助けられました。

40年前、私が独立した時、父は独立に猛反対でしたが、最後に「独立するなら相談できる銀行、警察、病院を早めに持ちなさい」と言ってくれました。色々な商売を手掛けた父の言葉にも重みがありました。父の時代は3者でしたが、今は弁護士が入り4者なのでしょう。会社を退職した日、上司から個人的な餞別と長い手紙をいただきました。手紙の最後に「君の将来が、やはり、でなく、あの伊藤君が、であることを信じています。」と書かれていました。独立は人生の賭けで、何度も何度も大波に呑まれそうになった時、以前の同僚や先輩に「やはり」と笑われたくなかった。特にライバルとして競った先輩には笑われたくなかった。その結果が今の会社になっていると思います。

独立して間もなく、父からの教え通り銀行とは仲良くなり、新教室の展開の資金は、全て銀行からの融資でした。銀行から提示される利率は、現状の会社の経営状態を示しています。長・短期のプライムレ-トより何%低いか?提示された金利から何%下げさせるか?が経営者の資質であり、腕の見せ所です。そこで私に付いたあだ名が「Mr金利」でした。銀行には経営者の細かな調査書があり、担当者が代わると、引き継ぎ欄には経営者の特徴を書き込みます。「Mr金利」は勲章であり、そのように呼ばれることで、小さな会社が都市銀行と対等になったと思いました。同時に経営者としての自信を持ちました。山本五十六元帥の、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」や「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば人は育たず」という言葉も、社員教育にと日記に記したこともありましたが、自分のものには出来ませんでした。

最後に私が固まってしまった言葉は「本気」です。本気ですれば大抵のことはできる。本気ですれば何でもおもしろい。本気でしていると誰かが助けてくれる。経営者になって来年で40年。「本気」は私の全てであると思います。よく初心に帰るといいますが、心に残る言葉を思い出して下さい。その時こそ初心に帰ることが出来るのではないでしょうか。(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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