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■ 2018年09月:KEY WORD 45年目

 我が社は、今年の8月で創業45年を迎えました。45年前の1973年はオイルショックの年で、円が変動相場制に移行して、1ドルが264円でした。TVでは「子連れ狼」や「ドラえもん」が人気を集め、映画では「仁義なき戦い」がヒットし、小松左京さんの「日本沈没」がベストセラ-になりました。結婚式で歌われた「てんとう虫のサンバ」、「神田川」が大ヒットした年でした。我々の世代でないとわからない思い出が、走馬灯のように蘇ってきます。

 45年。しかしなぜ日本人は区切りの良い数字が好きなのでしょうか?昨年の44周年も、来年の46周年も、1回しか来ないことにかわりはありません。しかし、今年の45周年には執着があるのはなぜでしょう。5年先の50周年はまた違う気持ちで迎えると思います。きりの良い数字は創業や開店日だけではありません。1月1日も特別な日です。元旦のご来光を拝む人は大勢いますが、10日先の日の出に、特別な気持ちで手を合わす人はあまりいません。人生においての区切りとして60歳(還暦)があります。1月1日と還暦は、心の奥に感じるものに共通点があると思います。時間が流れていく中で、節目を意識して「こんなに長い間ありがとう」とお世話になった人に感謝したり、コツコツ頑張った自分を認めたり、「これからどう生きていきたいか?」と、先の計画を考えたりする、それが人生の節目、1月1日や還暦なのです。

 45年間に出会った生徒については、この欄でも何人か紹介しました。小学生から通塾して、県内屈指の進学校に進み、経済産業省のキャリアや、弁護士になった生徒達もいました。彼等は4~5を話せば10を理解し、隣の席の生徒にも教えて面倒見が良かった事を覚えています。悲しい事もありました。東大に2度チャレンジしたのに不合格だったある生徒は、進学を諦めて職に就く決心をして春日部校に挨拶に来た後、今までの全てを清算するために、バイクで東北地方に一人旅に出かけました。旅先から絵ハガキが届き、1週間が過ぎました。旅の最後の夕方、塾に電話が入り「これから帰ります。春日部校に寄ります」と、楽しそうな、人生を見つけた声でした。しかし、彼の姿を見る事はできませんでした。古河市と栗橋町に架かる橋の上で、左折するダンプカーに挟まれこの世を去りました。連絡を受けたのは、授業終了後の10時過ぎでした。私は塾を飛び出し、駐輪場で声を出して泣きました。彼の口癖は「夢は、東大のユニフォームに身を包み、神宮のグランドに立つ」でした。事故原因はダンプカー運転手の不注意でした。遺体の損傷も激しかったそうです。中学・高校と野球部に席を置きキャプテンを務めた彼の葬儀には、同級生、友人をはじめ、出身校や他校の元野球球児たちも手を合わせていました。地区のリーダーでもあったようです。夢を持ち、新しい人生の出発の日に去って行きました。今でも目頭が熱くなる思いです。

 30年位前です。当時我が社は、自社物件で塾を立ち上げていました。JR三郷駅は、まだまだ閑散とした街で、人口増加が見込めたため、出店を検討して、不動産会社に土地買い入れの依頼をしていました。ある日不動産会社から「三郷駅近くに最適の土地が見つかった」との連絡が入りました。私の空いている時間は午前10時までです。7時に三郷駅前で待ち合わせて現地に向かいました。担当者の名刺には、専務取締役とありましたが、昨夜は遅くまで飲んでいたのか、酒の臭いがして、洋服からは焼き肉の臭いがしました。好位置で欲しい物件であることは確かでした。当時の当社の体力なら銀行の融資も可能でした。専務は何軒かの問い合わせがある物件と言っています。それも嘘ではないと思うほどの良い物件です。手付金を入れてくれるなら確保しますと勧めてきます。しかし、私の頭の奥に、わだかまりがあり、結局契約を結ばず帰りました。帰り道、頭の中でまだ迷っていました。数日後、その不動産会社は倒産しました。新聞には契約詐欺の文字が。

 色々な事があり、私を成長させてくれた45年間でした。(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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