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■ 2019.03.01 摂理

 私の実家は、三重県松阪市から西に20km行った山と川に囲まれた所です。戦後はサトウキビから砂糖を製造する工場と、瀬戸物のパッキングとして使う木毛(木を素麺状にしたもの)を作る工場を経営していました。それらの工場の脇に線香の粉を作る工場がありました。線香は杉の葉を細かく切り、臼と杵でパウダ-状にします。臼と杵は21個、一列に並んでいて、オルゴ-ル式に軸が回転して、餅つきのように杉の葉を砕いていきます。軸を回す動力は水車です。ゆっくりと1昼夜動かすために、モ-タ-では減速できず経費もかかるからです。水路を引いて水車で回す方が、効率が良いのです。水車は直径7mあり、1定の速さに水量を調整します。ほぼ無人で粉になります。水車の周りには水を求めて、小動物が集まってきます。私が中学の時でした。兄から「臼の具合を見てこい」と言われ、工場の階段を下りると、くちなわ(方言でヘビ)の尻尾が見えていました。以前から住み付いている青大将でしょう。1m以上の青大将の胴体は動かないのに、尻尾が微かに動いています。死んではいない。くちなわの前の方を恐る恐る覗くと、青大将は顎が外れるほど口を大きく開けて、ちょうどヒキガエルを飲み込んだところでした。ヒキガエルは拳2個ぐらいある大きなカエルです。青大将の口からまだヒキガエルの後ろ足2本が見え、動いています。カエルはまだ生きている。青大将はゆっくり、ゆっくり、カエルを口の中に入れて行きます。時間がどれほど経過したか覚えていませんが、顎が外れた口は、元の小さな口に戻り、飲み込んだカエルのコブは、少しずつ腹の方に進んで行きました。コブがヘビの長さの半分程に移動すると、くちなわは動き始めました。その時は、ヒキガエルが哀れで、助ける事ができなかった自分を責めたものです。くちなわは、残酷で恐ろしい生き物だと思いました。同じように、くちなわが鶏の卵を飲み込み、高い所から落ちて、飲み込んだ卵を腹の中で割る光景も、私の記憶の中に色あせることなく残っています。

 時は過ぎ、今年の1月4日の毎日新聞で、斎藤茂吉さんの『石亀の生める卵をくちなわが待ちわびながら呑むとこそ聞け』という短歌を目にしました。歌の意味も掲載されていたので引用させてもらいます。「石亀が卵を産むのを、地中にいて、蛇が今か今かと待っている。その卵を飲み込むためである、と聞いた事があった。」石亀は夏に、地中8cmの穴を掘り10個位産卵します。その卵を狙って、くちなわが地面の中で待っている。「待ちわびながら」と恍惚とした表現ですが、命のやり取りです。石亀がかわいそうだという同情も、蛇は酷いという倫理もありません。中学生の時は、かえるに同情し、蛇に反感を覚えましたが、ここには食物連鎖として簡単に済まされない、命のやり取りが目の前で行われていました。生きていくエネルギーを充足することは、自然界の摂理です。斎藤茂吉さんも、自然の摂理を感じてこの歌が出来たのでしょう。

 この宇宙に生きるものは、ひとつの環のようにつながっています。食べるとか、食べられるとかいう関係ととらえるのでなく、すべてが1体化しています。しかし、企業もある意味、生き物ですが、自然の摂理には当てはまりません。経営者の経営方針、行動、姿勢で、食われるか、食って進んで行けるか、が決まります。時代に合っているか、時間を有効に使っているか、上げればきりがないのですが、食われれば可哀そうだとか、食ったものを憎むとかの倫理もありません。経営者は誰もがなれる職業ではありません。ごく1握りの選ばれた者でないと。上に立つ者も選ばれた者です。

 24節気の啓蟄は3月6日です。大地が暖まり、冬眠をしていた虫が穴から出てくるころです。これから自然界の摂理が繰り広げられる事でしょう。来月は年度の始まり、5月は新元号になります。

 企業の摂理は経営者の立ち位置にあります。(典)

■ 2019.02.01 お金の魅力

 2月は年間で一番寒い月になります。また新年度の準備の最終チェックの月でもあります。昔から、二・八と言って、2月と8月は、多くの業種で景気が悪いとされています。原因としては、2月は正月明けで、出費が止まり、8月は先祖が帰ってくるから家を空けられないからでしょうか。また寒さ暑さも関係するでしょう。二・八は、最近、全く違う意味で若い人が使っています。2割の優秀な社員の売り上げが、全体の8割を占めるという説があります。また、地球上の2割の人達が8割の利益と富を分かち合い、残りの8割の人が2割の富を奪い合っていることから,この事を『二・八の法則』と言う方が有名になっています。どちらの二・八も経済に関わっています。経済の大動脈を流れるのが、お金です。お金には独特の法則があります。持ち金が0円に近い人は、頼むから3000円貸して、懐が心細い時は1万円貸してと言います。生活ができる金額を聞くと3万円欲しいと答えます。貯金を全く持っていない人に「実現可能な金額として、とりあえずどのくらいの貯金が欲しいか」と聞くと10万円と答える人が圧倒的です。とりあえず10万円あれば、ちょっと困った時に助かります。ところが10万円程度の貯金がある人にこれで満足していますかと聞くと、30万円欲しいと答えが返ってきます。次に30万円持っている人に同じ質問をすると100万円程度欲しい。100万円持っている人に聞くと、同じ様に満足していなくて300万円が目標になります。300万円持っている人は1000万円。1000万円持っている人は1億円欲しいと答えます。「金欲の逆ピラミット」です。このピラミットは何故か3・10なのです。1億円持っている人は3億円。3億円あったら10億円になるかも知れません。お金はいくらあっても困らないという性質があります。食べ物や衣類などはありすぎて困りますが、お金には限度がありません。最近、日産自動車のカルロス・ゴ-ン元会長の有価証券報告義務疑惑をはじめ、企業や、個人の脱税が、新聞やTVから流れてきます。お金はいくらあってもいいのですが、その結果、お金のために働くようになり、お金に心を支配されて、お金の奴隷になっている人も見かけます。

 以前、西日本の山中で暮らすある夫婦の特集をTVで見た事があります。ご主人はアメリカの金融機関で働いていました。外資企業は個人の成績で給料が決まります。20代で最低3000万円の年収があり、金欲の逆ピラミットならば次は1億円・・となるところでしたが、このご主人は趣味もなく、仕事に疲れ、夫婦の会話も無くて、自分の人生がお金に支配されていることが嫌になり、山中に引っ越しました。食べ物は自給自足、家の修理は、近くの大工さんに弟子入りして技術を習得し、冷蔵庫の代わりは沢の水です。この夫婦は自然に囲まれての生活ですから、殆どお金はかかりません。価値観の問題ですが、お金の支配から逃れて、自然の支配に身を任せたのでしょう。
夢を見させてくれるお金もあります。家などの資産を持つために無理のない貯金や、自分を磨くための貯金は、通帳を見るのが楽しくなります。出来上がった自分の家や、学び舎に身を置く自分の姿を想像すると、仕事にも意欲が湧きます。貯金の桁が1つ上がると、心がワクワクするものです。このワクワク感は、私の場合、生徒の数と、生徒の成績上昇で感じることが出来ました。一斉授業でしたから、5人のクラスが10人に、10人のクラスが15人に、定員の20人になると、頭の中が、授業一色になり、時間の過ぎるのを忘れてしまいます。いつだったか、夜の10時に終わる授業が、気が付けば11時、1時間の延長です。これは良い事とは言えませんが、生徒と教える者が一体となり、その結果は成績に現れてきます。お金のワクワク感も、仕事のワクワク感も、考え方次第では同じではないでしょうか。

 「あなたは、1億円欲しいですか?差し上げましょう。しかし、1億円を手にした瞬間、あなたは自分の部屋6畳から一生出てはいけません。それでも1億円欲しいですか?」これは私の恩師Dr.・コックスの言葉です。彼は、自由こそ何ものにもかえがたい大事なものである、と考えるアメリカ人でした。

 お金、自然、ワクワク感、自由。あなたが優先すべきは何でしょう。(典)

■ 2019.01.01 森羅万象

 明けましておめでとうございます。昨年中は、オイロン通信を検索していただき有難うございました。そろそろ、オイロン通信を引退しようと、毎年12月の暮れに思いますが、皆さんから多くのメ-ルを頂き、励まされ、今年も頑張ってみようと思います。宜しくお願いいたします。昨年の目標として、「今年の心」に“綴る”を年賀状にも書きました。書き溜めた日記を読み直しました。74年から44年間、言い尽くされた言葉ですが、走馬灯のように生き様が甦ってきました。日記の内容の多くは、反省している文章が綴られています。行事・セミナ-・人前のスピ-チ・言い方の不備・内容の貧弱さ・早口、心が滅入る事ばかりです。しかし心躍る内容もありました。子どもたちの結婚・孫達の誕生などです。ショックな出来事は、両親の死と親友との死別でした。72歳を綴るには出来事が多すぎる人生でした。昨年の“綴る”を踏まえて、今年の心を「辿る」にしました。辿るは、「歴史を辿る」の様に今までの生き様を表す言葉であり、「道を辿る」の様に道や川に沿って進む現状を表す言葉でもあります。また、物事をある方向に進めて行く、未来を示す言葉でもあります。今年は、過去・現在・未来の融合に努めたいと思っています。中でも未来については、野球で言えば、8回の表か、裏か?という年齢ですから、負けていれば残されたチャンスに逆転を、勝っているなら残りの回をこのままリードか、追加点を入れるかを、辿ってみたいと思っています。

 皆さんは「葉っぱのフレディ-命の旅」という絵本を読んだ事がありますか?レオ・パスカ-リア作、みらいなな訳で多くの子供たちに読まれている絵本です。要約すると、私達はどこからきて、どこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう。死とは何だろう。と、問いかけている本です。興味のある方は図書館で読んでください。あらすじを書きます。

 大きな木の太い枝に、葉っぱのフレディ-は春に生まれました。多くの葉っぱに取り囲まれて、葉っぱはどれも同じ形をしていると思っていましたが、やがて、ひとつとして同じ葉っぱは無い事に気が付きます。フレディ-は親友のダニエルから、色々な事を教わります。自分達が木の葉っぱだという事、めぐる季節の事。フレディ-は夏の間、気持ちよく楽しく過ごします。遅くまで遊んだり、人間のために涼しい木陰を作ってあげたり。秋がくると、緑の葉っぱ達は一気に紅葉しました。みなそれぞれ違う色に。そして冬、とうとう葉っぱが死ぬ時がきます。死とはどういう事なのか・・・ダニエルはフレディ-に、命について説明します。「いつかは死ぬさ。でも“いのち”は永遠に生きているんだよ」フレディ-は自分の生きてきた意味について考えます。「ねえ、ダニエル、僕は生まれてきてよかったのだろうか」そして最後の葉っぱとなったフレディ-は、地面に降り、眠りについたのです。子供が生と死を学ぶ絵本です。私はフレディ-が紅葉したことに注目したいと思います。木々は、日が短くなって、気温が下がると、葉と葉の間に「離層」という細胞の層を作り、水や養分を木から葉に運ぶ管を塞いでしまいます。それと同時に光合成の作用が弱くなり、紅葉します。この紅葉は、植物にとって、有害物を作る反応をさせないための防御なのです。人間をはじめ、猫や犬、小さな昆虫に至るまで、動物は体内の不要物を排泄する器官がありますが、植物には排泄する器官がありません。体内に入ったり、体内で生じたりしたもののうち、不要物は全て葉の中に蓄えられます。木はそれらの不要物を1年に1度、落葉という形でまとめて捨てるのです。落ち葉は1年間のアカ落としです。私は、フレディ-に、落ちていくのは、1年間の腐敗物を捨てる行為だよ。そして、フレディ-が地面に落ちる前に、フレディ-を生んでくれた木には、新しいフレディ-が芽吹いているよ、ということを教えてあげたい。

森羅万象、もの思う1年にしたいものです。(典)

■ 2018.12.01 利口もの

 今年も師走を迎えました。今年の夏は猛暑で、想定外の豪雨がありました。中でも7月15日~16日、岡山県真備町の水害は本当に日本での出来事かというような災害でした。TVのニュースは、関東地方の猛暑と、岡山の豪雨を、連日放映していました。私の田舎(三重県大台町)でも平成23年9月に、紀伊半島を中心に甚大な被害をもたらした、台風12号「紀伊半島大水害」により、死者、行方不明者が多数出て、住宅や店舗、農地に大きな被害が出ました。この時、一級河川「宮川」が氾濫しました。普段の宮川は、日本で最も透明度の高い川です。その川が濁流に変貌を遂げたのです。私にとって宮川は遊びの川でした。川の源流にはアユ・ヤマメ・イワナが生息しています。宮川渓谷は何度もNHKに取り上げられ、毎年、透明度日本一を獲得しています。宮川でヤマメ・イワナの渓流釣りをしている時、一番気を付けなければいけないのが豪雨です。夕立が来ると山奥の川は、みるみる、1m・2m水位が上がり、危険な状態に陥るのです。そのような時、突然魚がよく釣れます。魚も豪雨による濁流で暫く餌が取れない事がわかるのでしょうか。その前にたくさん食べておこうとするようです。その上、釣り上げた魚は、胃袋の中に石を飲んでいるのです。ヤマメやイワナなどの小魚は、濁流に流され、岩にぶつかってケガをしてしまいます。小石を飲んで体を重くして、大雨が降って水が増してくる前に、大きな岩の陰に移動して身を守っています。山の天気は気まぐれで、一瞬の出来事です。川の源流で、魚が多く釣れ始めたり、小石を飲み込んだ魚が釣れたりしたなら、迷わず沢を下りてきます。魚たちは、川の増水、濁流を事前に感知します。小雨なら小石は飲みません。これらの事は釣り仲間では常識です。「魚の天気予報」は正確で間違いがありません。

 天気予報は魚だけではありません。大きな葉を付けている木も、我々に天気予報を告げています。木は、普段太陽の日差しを受け入れ、光合成をするために出来る限り横に葉を広げています。しかし、大雨が予報されると、葉を垂らしたり、葉を上に上げたりして、雨水が溜まらない工夫をします。葉に水が溜まり、重さで葉が落ちてしまっては、光合成が出来なくなり、死活問題です。自然界の樹木も「天気予報」の名人と言えます。家庭菜園を趣味にしている者にとっては、アブラム虫は野菜の天敵です。野菜の葉から養分を吸って、野菜の体力を下げるため、収穫も少なくなります。アブラムシは里芋の葉にも付き、茎を枯らすこともあります。アブラムシは里芋の葉の表にも裏にも付き繁殖率は高いです。台風のような大雨が来る前には、葉の裏側に移動します。里芋の葉の表に雨が当たると葉の窪みに水が溜まり、表に居れば水死です。木に付くダニは、大きな葉の樹液を吸って暮らしています。ダニも豪雨の前には、葉の裏側に移動します。「虫の天気予報」です。よく言われる事ですが、カマキリは積雪を予知して、卵を雪害から守るために、積雪の多い年には地上より高い位置に、積雪の少ない年には、より暖かい地上すれすれに卵を産みます。

 私たちは、人間が一番利口で全ての生物を支配しているように見えますが、本当にそうでしょうか?イワナやヤマメ、アブラムシやダニには、パソコンも無ければ、気象衛星や、アメダスを見る事もできません。しかし、身を守るための天気予報は必ず当たります。正確です。「利口さ」は人間よりも自然に生きる者たちの方が上かもしれません。我々の先祖にも、このような能力があったのかも知れません。哲学者の、内山節先生の「いのちの場所」(岩波書店)に「人間は利口だから文明を作ったのではなく、文明を作らなければ生きていけない程度の能力しかなかったから文明を作った」との一節があります。
我々の職業は文明と、勘と、知識のコラボレーションが必要です。利口者になりませんか。(典)

■ 2018.11.01 〜時代〜

 私の元に「定年退職しました」とのハガキが届きました。彼は、私が初めて融資を受けた、第一勧業銀行(現みずほ銀行)の松戸支店に勤務していた担当者で、胸に掲げた、ネームカードには金子と書いてありました。金融機関ではまだ塾が認知されていない1975年12月、独立して2年の29歳の年の暮れでした。資金が枯渇して、どこの銀行・信用金庫からも融資が得られなくて、万事休すの時、飛び込んだのが松戸支店でした。その時、初めて事業計画書に目を通し、支店長まで話を通してくれたのが金子さんでした。融資の手順、身上書を印象良く書く方法を教えてくれたのも金子さんでした。私より4歳年下だったと思いますが、メガバンクの職員だけに頭の切れる方でした。松戸市に6教室展開していた時、経理部門の相談に乗って貰いました。その後、我が社は本社を春日部に移し、彼も転勤で松戸を離れました。ここ数年は年賀状だけの付き合いでした。ハガキには松戸支店でのこと、出向先のこと、再度銀行に戻ったことなど彼の人生が書かれていました。今後は趣味のゴルフと家庭菜園を楽しむらしいです。私の心の中では、「お疲れ様」と「ありがとうございました」の言葉を添えて、共に一つの時代が終わった感じがしました。

 今年も、毎日新聞埼玉支部と県私立中学高等学校協会は、県内の私立中学・高校が進学相談に応じる「第32回埼玉私立中学高校展」を熊谷・川越・さいたまのそれぞれの会場で8月~10月にかけて開催しました。中学受験生・高校受験生が、各学校のブ-スを訪れて、個別に学校の特徴・入学後の説明を親御さんと相談できる場です。このような相談会は、埼玉東部にある学習塾が40年前に行なった「進学相談会」が原型になっていると思います。埼玉東部の12塾が春日部市民文化会館に私立校を招待して、塾生・保護者の個別相談をやっていました。1回目は苦戦しました。埼玉県内で参加してくれた私立校は3校、栃木県内は1校、都内は3校でした。塾がまだ認知されていない時代で、私立校としては、中学校との関係があり、足が重かったのでしょう。回を重ねるごとに、埼玉県内の私立校の半分以上、栃木県内4校、都内は5校が参加を表明してくれました。参加校が増加した大きな原因として、受験生の減少、成績上位者の早期獲得がありました。会が定着した頃には、会場費を負担するからブ-スを広くして欲しいとの要望があり、会場の2F・3Fを全日借り、参加生徒数も1,200名を超えました。2000年に入ると、受験生の減少は益々進み、近隣の公立校も参加の打診があり、私立・公立校が受験生に対して、自校をアピ-ルする場になりました。埼玉県内では業者テストの偏差値が一つの合格の指針になり、生徒の中には業者テストの偏差値・通知表を持参して自分を売り込む生徒もいました。会場は活気に満ち、生徒の手には複数校のパンフレットが握られ、熱心なご家庭は生徒と両親が一緒にブ-スを訪れたり、生徒と両親が別々のブ-スでより多くの情報を集めたりして、学校選択には熱心でした。上位校と称される学校の偏差値は高く狭き門です。私立高校においては、校名を変えて、在校生の成績を上げ、有名大学の合格実績をもって成績上位校の仲間入りをする高校、高校野球に力を入れて甲子園に出場して知名度を上げる高校も出てきました。私立の高校も一つの時代が終わりました。

 第1回目の相談会を共に企画した塾も次々と廃業・倒産、これも一つの時代が終わりました。時代の終わりを上手く利用することができれば時代の寵児になれるかもしれません。

 子曰く、知者は迷わず、仁者は憂えず、勇者はおそれず。(典)

■ 2018.10.01 譜代・外様

 我が家は、私が社会人になってから毎日新聞を購読しています。当時は全国紙の中でも、今のように政権に忖度する2紙も中道を行っていたと思います。ただし、1紙だけはかなり左寄りで、その中で、毎日新聞は中道を維持して、日本新聞界の権威である「新聞協会賞」を協会加盟の全国紙で最多受賞しています。私は、コラムの「余録」には必ず目を通しています。編集長で、関西の芸能・文化に造詣の深い近藤勝重さんが、93年4月に週刊誌の「サンデー毎日」に移動した時は、毎週読んだものです。孫が小学4年生になった時、販売店に勧められ「毎日小学生新聞」を購読し始め、孫も我々大人も読みました。題名は小学生新聞ですが、内容は高度で、分かりやすい時事、歴史、心理、社会や、有名私立中高の入試問題も紹介していて、大人も充分に楽しめる内容がぎっしりです。この小学生新聞には「毎小特派員」の欄があります。今から8年前に、小学6年生の大久保百合花さんが記者になり、会いたい女優さん比嘉愛未さんを訪問しました。大久保さんは、比嘉さんが出演していたTVドラマ「コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命」を見て訪問しました。毎小新聞の1面「あの人に会った」(2011年7月24日号)で比嘉さんとのインタビューが掲載されています。私も毎小特派員の記事は好きで、毎回目を通しています。コード・ブルーはフジテレビのドラマで、今年の7月に劇場版が公開されていました。ドラマの中で比嘉さんは、豊富な医療知識と高い技術を持つフライトナース役を演じています。大久保さんは小さい時から、医者になりたいと漠然とした夢を持っていましたが、医師の仕事を頭の中に描けなかったようです。しかし、インタビューの中で比嘉さんに「私は緊急救命医フライトドクターになりたい」と告げ、比嘉さんも「頑張ってね」と紙面で返していました。今年の7月24日の毎小新聞に、18歳になった大久保さんが再度登場しました。今春、東京女子医大医学部に合格して、比嘉さんと握手している写真が掲載されていました。大久保さんは「7年前に比嘉さんが背中を押してくれました。」と話し、比嘉さんは「10年間、医療シーンで代役を立てずに撮影に臨み、大変な役であったが、私を見て初心貫徹してくれた。この仕事をやっていて良かった。一番のパワ-になります。」と話していました。現役で医学部に合格するには生半可な勉強では合格しません。

 勉強には、譜代と外様があります。譜代は、大久保さんのように幼少の頃から、目に焼き付いた目標に向かって、他に目もくれずに勉強します。外様は受験期が迫ってきた時から猛勉強をします。多くはこのタイプです。悪いわけではありませんが、難関国家試験(医師・弁護士等)や上級公務員試験(キャリア等)は外様では合格困難です。一夜漬けでテストに臨み、点数は取れても、同じ問題を1ヶ月後に再度テストすると、一夜漬けの生徒は前ほどの点数が取れません。証明した分析もあります。一夜漬けは外様、計画的に普段から取り組む生徒は譜代です。譜代・外様理論は勉強だけではありません。今年のワ-ルドカップに出場していたサッカー選手は、小学生の頃から憧れの選手を目標に努力を重ね、夏の甲子園に出場していた選手も憧れのプロ野球選手を目標に猛練習を積み上げたに違いありません。彼等は運動の譜代です。私の友人の息子さんは、小学4年生の時、アトピ-に罹り医療の道に興味を持ちました。中学3年生の時、網膜剥離になり、この時、医師になり原因を確かめたいと心に決め、猛勉強の甲斐あって、治療してくれた大学の医学部医学科に合格しました。彼は今、大学病院で網膜剥離にならないための研究と、患者さんの治療の毎日です。目標達成には譜代でなければ・・・

 私達の職業は、生徒に学習の習慣を身に着けさせ、身を助ける知識を習得させる事が仕事です。譜代になるためには、時間と成し遂げる精神力がないと難しいものです。早めの決意が必要です。安易な一夜漬けの外様になっていないか?自分の人生を顧みて見ませんか?

 掉尾を飾ろうではないか!(典)

■ 2018.09.02 45年目

 我が社は、今年の8月で創業45年を迎えました。45年前の1973年はオイルショックの年で、円が変動相場制に移行して、1ドルが264円でした。TVでは「子連れ狼」や「ドラえもん」が人気を集め、映画では「仁義なき戦い」がヒットし、小松左京さんの「日本沈没」がベストセラ-になりました。結婚式で歌われた「てんとう虫のサンバ」、「神田川」が大ヒットした年でした。我々の世代でないとわからない思い出が、走馬灯のように蘇ってきます。

 45年。しかしなぜ日本人は区切りの良い数字が好きなのでしょうか?昨年の44周年も、来年の46周年も、1回しか来ないことにかわりはありません。しかし、今年の45周年には執着があるのはなぜでしょう。5年先の50周年はまた違う気持ちで迎えると思います。きりの良い数字は創業や開店日だけではありません。1月1日も特別な日です。元旦のご来光を拝む人は大勢いますが、10日先の日の出に、特別な気持ちで手を合わす人はあまりいません。人生においての区切りとして60歳(還暦)があります。1月1日と還暦は、心の奥に感じるものに共通点があると思います。時間が流れていく中で、節目を意識して「こんなに長い間ありがとう」とお世話になった人に感謝したり、コツコツ頑張った自分を認めたり、「これからどう生きていきたいか?」と、先の計画を考えたりする、それが人生の節目、1月1日や還暦なのです。

 45年間に出会った生徒については、この欄でも何人か紹介しました。小学生から通塾して、県内屈指の進学校に進み、経済産業省のキャリアや、弁護士になった生徒達もいました。彼等は4~5を話せば10を理解し、隣の席の生徒にも教えて面倒見が良かった事を覚えています。悲しい事もありました。東大に2度チャレンジしたのに不合格だったある生徒は、進学を諦めて職に就く決心をして春日部校に挨拶に来た後、今までの全てを清算するために、バイクで東北地方に一人旅に出かけました。旅先から絵ハガキが届き、1週間が過ぎました。旅の最後の夕方、塾に電話が入り「これから帰ります。春日部校に寄ります」と、楽しそうな、人生を見つけた声でした。しかし、彼の姿を見る事はできませんでした。古河市と栗橋町に架かる橋の上で、左折するダンプカーに挟まれこの世を去りました。連絡を受けたのは、授業終了後の10時過ぎでした。私は塾を飛び出し、駐輪場で声を出して泣きました。彼の口癖は「夢は、東大のユニフォームに身を包み、神宮のグランドに立つ」でした。事故原因はダンプカー運転手の不注意でした。遺体の損傷も激しかったそうです。中学・高校と野球部に席を置きキャプテンを務めた彼の葬儀には、同級生、友人をはじめ、出身校や他校の元野球球児たちも手を合わせていました。地区のリーダーでもあったようです。夢を持ち、新しい人生の出発の日に去って行きました。今でも目頭が熱くなる思いです。

 30年位前です。当時我が社は、自社物件で塾を立ち上げていました。JR三郷駅は、まだまだ閑散とした街で、人口増加が見込めたため、出店を検討して、不動産会社に土地買い入れの依頼をしていました。ある日不動産会社から「三郷駅近くに最適の土地が見つかった」との連絡が入りました。私の空いている時間は午前10時までです。7時に三郷駅前で待ち合わせて現地に向かいました。担当者の名刺には、専務取締役とありましたが、昨夜は遅くまで飲んでいたのか、酒の臭いがして、洋服からは焼き肉の臭いがしました。好位置で欲しい物件であることは確かでした。当時の当社の体力なら銀行の融資も可能でした。専務は何軒かの問い合わせがある物件と言っています。それも嘘ではないと思うほどの良い物件です。手付金を入れてくれるなら確保しますと勧めてきます。しかし、私の頭の奥に、わだかまりがあり、結局契約を結ばず帰りました。帰り道、頭の中でまだ迷っていました。数日後、その不動産会社は倒産しました。新聞には契約詐欺の文字が。

 色々な事があり、私を成長させてくれた45年間でした。(典)

■ 2018.08.01 蜜蜂

 今から10数年前になると思いますが、「銀座の蜜蜂」と言う本がベストセラ-になりました。本の帯には、銀座の天空に世界最先端の「里山」が出現、と記されていました。私は、子どもの頃から多くの昆虫に囲まれて育ちました。カブトムシ、カマキリ、なかでも蜜蜂は、友達の家にもあり、身近な昆虫でした。蜜蜂の巣箱から、生の蜜をすすったり、巣殻をロ-ソクの原料にしたりしたことを覚えています。カブト虫ならオス・メスの区別は見た目で判断できますが、蜜蜂は見ただけでは分かりません。私達が目にして、花の蜜を集めている蜜蜂は全てメスです。そして、針を持ち刺すのもメスで、オスは短時間以外、巣箱から出てきません。多くの時間を巣箱の中で「ゴロゴロ」していて働きません。オス・メスは、女王蜂によって生み分けられます。

 蜜蜂の一生について書きますと、女王蜂は孵化して1週間ほどで成虫になり、巣箱から大空に飛び出します。オスバチは巣箱でごろごろしていますが、午後2時~4時頃は外に出て、女王蜂が飛び出すのを毎日待っています。女王蜂が飛び出すと同時に、オスの大群が、女王蜂との交尾のために、女王蜂の後ろを追いかけます。その光景は、まるで大空へ向かう1本の竜巻のようです。大群の中で弱いオスは振り落とされます。女王蜂は、オスの数が15匹~20匹位になるまで大空を飛び続け、追い着いたオスの全てと交尾して、精子嚢一杯に精子を貯め込みます。オスには人を刺す針はありませんが、お腹に交尾器があります。交尾を終えたオスはその場で「即死」です。役目が終了次第、一生を終えます。交尾をした女王蜂は巣に戻り産卵を開始します。卵は2種類に分かれます。貯精嚢の弁を開いて受精卵を産めばメスの働きバチになり、弁を閉じて無精卵を産めばオスになり、オスは全体の約1割です。オス・メスの割合は蜜蜂にとって死活問題です。オスを多く産めば蜜を集めるメスが少なく、メスが多いと、強いオスが現れず、次世代に子孫を残せません。オス・メスの配分を女王蜂がどのように決めているかは不明です。女王蜂は一生の間に約8万個の卵を産み、オスには、極少量のローヤルゼリーを与え、メスにはそれよりも多くのローヤルゼリーが配られます。ローヤルゼリーは、働きバチが花粉と蜂蜜を食べて体内で分解及び合成して胸腺から出す乳白色のクリ-ム状の物質です。メスの卵で、丈夫そうな幼虫には、ローヤルゼリーを多量に与えます。多量に与えられたメス蜜蜂は女王蜂の候補になります。ここでも競争があります。卵の中から数個の女王蜂の候補が生まれ、その中で最初に孵化し、成長した女王蜂の候補のみが競争を勝ち抜いて新しい女王蜂になり、他の候補は殺されてしまいます。巣箱には2匹の女王蜂は要らないのです。成虫になった女王蜂は巣立ちをします。その時1部のオス・メスが新女王蜂と行動を共にして新しい巣を作ります。巣が完成したら、女王蜂が大空に向かい交尾に至ります。オスにとっては一生に1度の交尾の飛行となるのです。女王蜂は2~3年の寿命ですが、働きバチは、夏季は1ヶ月、冬季は4~5ヶ月です。オスは、メスから蜜を貰い生きていますが、体が弱ったり、交尾に敗れたり、メス蜂から不要と思われれば、蜜も与えられずに一生を終えます。新しい女王蜂を巣立ちさせた女王蜂は、再度女王蜂の候補を産みます。女王蜂の寿命が近づいた時には、新しい女王蜂に巣全体を譲ります。世代交代により蜜蜂の巣は10年近く続きます。

 蜜蜂には天敵も多く、最大の天敵はスズメバチです。スズメバチは巣箱に入り、働きバチを捕らえて自分達の幼虫の餌にします。スズメバチは蜜蜂の後をつけて、道順にフェロモンを付けて仲間を集めます。蜜蜂も負けてはいません。スズメバチより2度体温の高い蜜蜂は、侵入したスズメバチを大勢で囲み団子状になり、羽を震わせ摩擦で体温を上げてスズメバチを熱死させます。日本には日本蜜蜂、西洋ミツバチがいますが、西洋ミツバチには、熱死のDNAがありません。自然界で西洋ミツバチがスズメバチに襲われれば壊滅的です。

 人間の世界も、昆虫の世界も、生き残るのは熾烈です。アイデアが勝負!(典)

■ 2018.07.01 アジサイ

 初夏の庭に似合う花にアジサイがあります。アジサイは、寒風には似合わない。やっぱり梅雨時に艶やかに咲いているのが、一番風情があって、心を和ませてくれます。私達が目にしているアジサイは、殆どが西洋アジサイです。アジサイの原産国は日本ですが、西洋で品質改良されて、日本に逆輸入されました。顧みれば、日本は江戸時代、園芸先進国だったのですが、アジサイは人気がなく、品質改良がされませんでした。1788年イギリスの博物学者が、中国揚子江に咲いていたアジサイと、日本のアジサイを自国に持ち帰り、改良を何度も繰り返し、現在の多くの種類が誕生しました。

 今や、アジサイの種類は大きく分けると50種類、園芸品種を加えると2千種類以上と言われています。我が家にも、日本古来の「隅田の花火」と西洋アジサイの「ハイドランジャ」があります。隅田の花火は、ガクアジサイで真花という小さな花の集まりの外側に、装飾花が真花を囲むように咲いています。ハイドランジャは、よく見かける丸く青い花を咲かせるアジサイです。アジサイは、女性に人気の花ですが、花言葉は、人気と裏腹に、移り気・浮気等が囁かれています。しかし、西洋では花が群れて咲くことから、一家団欒・友情・仲良し、と言われています。日本では、毎年咲く花の色が変わる事から、あまり良い意味の花言葉ではありません。アジサイの色は土の酸性度で決まります。「酸性ならば青色、アルカリ性ならば赤色」になります。土が酸性なら、土に含まれているアルミニウムが溶け出して、アジサイの根から吸収されて、ガクのアントシアニンという色素とくっついて青色になります。しかし、土壌が中性やアルカリ性だと、土に含まれているアルミニウムが溶けないため、アジサイの根から吸収されず、ガク本来の赤色になります。小学校の理科実験でリトマス試験紙を使いますが、「酸性なら赤色、アルカリ性ならば青色」となり、色の変わり方が逆です。リトマス試験紙は、リトマスゴケという地衣類(菌類に藻類が共生した生き物)が持つ色素で染められています。その色素の色の変化にはアルミニウムでなく水素が関係するので、アジサイとは違う変化の仕方をするのです。青色の花を咲かせたいならば酸性の肥料や、アルミニウムを含むミョウバンなどを土に混ぜれば青く咲きます。ただし、アルミニウムを吸収しやすい根と、そうでない根があるようで、同じ株でも場所によって少し違うことがあり、品種によっては、遺伝的要素で青くならないものもあります。花の咲いている途中に、酸性・アルカリ性の肥料で、色が変わる事があります。

 何もしなくても、日が経つにつれて徐々に変化することも知られています。最初は葉緑素のために薄い黄緑色を帯びており、それが分解されて行くにつれてアントシアニンが作られ、赤色や青色に色付きます。アジサイの花の終わり頃に赤くなるのは、アジサイの体の中で作られた二酸化炭素が原因です。アジサイの老化によるもので、土の酸性度や、土に含まれているアルミニウムの量に関係なく起こります。多くの植物はアントシアニンを持っています。例えば、ムラサキキャベツ・アサガオなどの色素も酸性度によって色々な色に変わります。アジサイは生命力が強く、剪定をしないと大きな茂みになります。剪定を間違えると翌年花が咲かない事があります。剪定は花が終わった7月~8月に行います。9月に入ると新しい花芽ができ、剪定が秋になると折角できた花芽を摘むことになるからです。

 葉には毒を持ち、自分自身で身を守る。酸性・アルカリ性の環境で自分を変える事ができるアジサイは何と素敵な事か。北米で品質改良された白いアジサイにはアントシアニンが無いため、生涯色が変わりません。何と不幸な事か!花が老いていけば、酸・アルカリに関係なく、みんな同じ色に染まる。何と素敵な事か。(典)

■ 2018.06.01 先生

 我々が初めて接する先生は、幼稚園の先生でしょう。その後、小学校では一人の先生に勉強を教わり、中学生になれば教科によって異なる先生に勉強を教わります。高校に進むと教科が分割されて、中学生よりもより多くの先生に教わることになります。大学に進むと、自分の意思で先生を選ぶ事ができるようになり、ゼミでは教授の色が濃い専門の学問に没頭することになります。私の場合は、三重県の田舎で、戦後の時代的背景もあり、幼稚園がありませんでした。小学校で初めて先生に接することになり、1年生の担任が福島先生でした。

 先生と聞くと、最初に思い浮かべるのは、学校の先生ですが、先生と呼ばれる職業は教師だけではありません。それでも限られた職業であることは確かです。教師の他に、弁護士、政治家、作家、漫画家、そして医師があります。先生と呼ぶ職業の共通点を考えてみると、専門の勉強を積み重ねた人となります。でも、専門の勉強と血の滲む様な訓練を受けた宇宙飛行士は先生と呼びません。哲学的になりますが、先生とは他人を導く立場にある人と仮定すると、会社の社長は、社員を導く立場にありますが、先生とは呼びません。もう一歩進めて特殊な技術や資格を持っている人と言い切ってしまうと、有名店のシェフは技術や資格があっても、先生とは呼びません。私の独自の推測ですが、先生と呼べる人は、自分には解決できない重大な問題を抱えた時、勿論、治療方法の分からない病気も含めてですが、助ける力を持った人に対して先生と呼び、頼るのではないでしょうか。頼る事で指導してくれる人が先生なのです。例えば、作家、漫画家、そして作曲家の人達を初めて先生と呼んだのは、編集者の方々だと言われています。その先生達に個性的で、独特の表現で作品を書いてもらわないと本や歌が出せない。編集者の人達が仕事にならないからだと思います。違った側面から見れば「教師さん」「作家さん」「漫画家さん」では何か間が抜けている様に思えます。「先生」は、尊敬でき、広範囲に使える職名なのです。

 私にも忘れられない先生がいます。その先生は「アルキメデスのお風呂」の話をしてくれました。内容は、次のようなものです。アルキメデスが王様から、金の王冠に銀が混ざっていないか確かめるように申し付けられました。今から2.000年前のギリシャですから、金銀の分析方法も知りません。アルキメデスは金と銀の重さを比べると銀の体積は金の約2倍になり、銀が混ざっていれば金だけの王冠よりも体積が大きくなることを知っていました。王冠は複雑な形で、立方体にする事ができず、毎日悩み続けていました。ある日、アルキメデスは、お風呂に入った時、お湯があふれ出る様子を見て、「王冠を水に沈めて、あふれ出た水の量が王冠の体積だ」と閃きました。金と銀の混ざった王冠と同じ重さの金を水の中に沈め、溢れた水の体積が違うことから、王冠に銀が混ざっていることを確かめたのです。この話をされた先生の姿、場所を克明に覚えています。以前にもオイロン通信で書きましたが、中学の入学式後、クラスの担任の先生が、「人間は考える葦である」と話され、大きく黒板に書きました。何だろうと思ったものですが、その時のことも同じように覚えています。

 永六輔さんの本に、「人間は二度死ぬ」と書いてありました。一度は心臓が止まり、葬儀を済ませた時です。そしてもう一つは亡くなった人が、自分の心から、頭から消えた時だと。「アルキメデスのお風呂」を話された先生は亡くなりましたが、私の頭の中では鮮明に今でも健在です。私達は職業柄、感受性の強い時期の生徒や、その御父母さんに接する時間が多いです。心の中や、頭の中に、いつまでも生き続ける授業やアドバイスをしたいものです。対、生徒、御父母だけでなく周りの人達も!(典)

■ 2018.05.01 えらい人

 人間褒められて気を悪くする人は少ないでしょう。しかし褒め言葉でも、曖昧な言葉もあります。その1つが「ユニ-ク」という言葉です。「あなたはユニ-クですね」と言われると、容姿、考え方、仕草、会話、とその中でどこが褒められているのか解らないけれど、気分としては悪くはありません。私の場合「ユニ-ク」と言われれば、他人と違って勝手な優越感を持ちます。ユニ-クと同様な言葉に「えらい」があります。子どもに向かって「君は家のお手伝いをしてえらいね」と言ったら、立派だね、となります。これは褒め言葉ですが「あの人は会社でえらい人だ」と言えば、会社の中で社長など地位の高い人の事を言っています。この言葉には、立派な仕事をしたから高い地位に出世したという含みもあります。「えらい」は褒め言葉以外にも使われています。私の田舎(三重県)では褒め言葉とは全く別の意味で使います。「今日の仕事はえらかった。」このえらかったは難儀したで事です。同様に「風邪をひいて、熱が出てえらかった」これも難儀した意味です。「今日はえらい目にあった」とも言い、これは大変な目にあったという意味です。「えらい大きな木だな~」とか「えらく遊んだな~」はたくさんと言う意味があります。中でも一番多く使われている「えらい」は、やはり「立派」という意味だと思います。

 哲学的になりますが、立派って何でしょう?例えば、会社の中で上司が活動的だった場合、すぐ行動に移す部下に対して、立派だ、えらい社員だと評価するでしょう。しかし上司が不言実行型であれば、静かに計画を立て、目標通りの期限までに仕事を達成する部下の方が立派で、えらいと思うでしょう。上司によって部下の同じ行動が立派、えらいになったり、煙たがられる結果になったりします。評価する人が何を大事にするかによって大きく異なります。褒める事は難しいものです。ものすごい美人から「あなた美人ね」と言われたり、天才的に頭のいい人から「君は頭が良いね」と言われたりしたら、嫌みに取る人がいるかもしれません。しかし、ものすごい美人や天才に「えらいね」と言われたら、あなたはいかがですか?「えらいね」には使う相手によっての方程式があると思います。「すごいね」とか「素敵だね」とか「いいね」は何時でも相手の事を素晴らしいと思った時に使えますが、目上の人には使えません。社会に出れば上司に使えないのが定説です。しかし学校・塾・サ-クルの子供の世界ではコミュニケーションの一環として、ジョ-クのように使われています。我々の子どもの頃には考えられなかったことですが、時代と共に変わりました。「えらい」って面白い言葉だと思いませんか?

 30数年前でした。当時我社は千葉県松戸市に6教室を有していました。松戸駅から少し離れた住宅内に松戸本部校があって、150名程の生徒が学習していました。ある日、中2の女生徒が学校帰りのままの制服姿で塾に飛び込んできました。彼女の通塾の曜日ではありません。ドアを開けるなり「先生助けて」と彼女は叫びました。目には涙、駆け出して来たせいもあり荒い呼吸、そして震えています。話を聞けば、帰宅したら怖い人達が家を囲み家に入れないとのこと。彼女の父親は工務店を経営されており、倒産でした。「怖いから家に帰りたくない」の繰り返しです。日は暮れてくるのに、家に電話しても通じません。塾の近くの中華そば屋で夕食を取り、隣の市に住む叔母さんに連絡が通じたのは、塾の授業が終わる10時でした。彼女は、叔母さんの迎えの車で帰りました。その後、彼女は、高校に進み、自力で大学にも入学し、時々、塾に寄って近況を話してくれました。社会人になってからは、音信も途絶えましたが、松戸駅前の伊勢丹デパ-ト松戸店でばったり会いました。彼女は伊勢丹デパ-トの職員になっていました。2人で店内の喫茶店でお茶をしながら、当時の事、奨学金を貰いアルバイトをして大学を卒業した事など話を聞きました。一人っ子だった彼女は、自分で自分の人生を切り開いて行きました。彼女こそ「えらい人」だと思います。(典)

■ 2018.04.01 臭い

 私は今年の年男、戌(犬)年です。私の持論ですが、犬年の人間は臭いに敏感だと思います。臭いに敏感なのは先天的なものなのか、否か、また自分にとって快適な臭いは他人にとっても快適なのかどうか、調べて見ました。私達の周りで臭覚が一番優れている動物は?とのクイズに多くの人が犬と答えるでしょう。しかし、答えはアフリカゾウです。(鼻が長いだけに?!)臭いは鼻のどこで感じるのでしょうか。鼻の奥には臭覚受容体という組織があります。臭覚受容体には無数の孔があり、その孔は、球形が入りやすい孔であったり、細長いものが入りやすい孔であったり、我々が見たことのない想像を絶する様々な形の孔が開いています。人間には、その孔が396個あります。私達の周りにある臭いの分子は数十万種類あり、球形、細形、角形、と多種にわたる形をしています。臭いの分子の形と受容体の孔の形が一致し、ピッタリはまった時、無数に張り巡らされた神経を通って脳に行き、我々は臭覚として感知するのです。強烈な臭いを察知するのは臭いの分子の形が多岐にわたり、1度に多数の分子が受容体の孔に入るからです。受容体の孔が多い程、臭いに敏感に反応します。受容体に通じる道筋は2通りあります。鼻からと口からです。風邪をひくと食べ物の味が分からなくなるのは、口からの通路が閉ざされて、臭いが受容体に届かないからです。臭いと味は密接な関係にあります。臭いに敏感な犬は受容体が811個あります。それを上回るのがアフリカゾウの1948個(人間の約5倍・犬の約2倍)です。元々、1億年前の哺乳類の共通の祖先は、約800個の臭覚受容体を持っていましたが、臭覚に頼る犬やアフリカゾウは臭覚を発達させる遺伝子を発達させ、人間やチンパンジー等の霊長類は、臭覚より赤・緑・青・明暗の4種類の視覚の受容体で認識して、臭覚は衰え、臭覚より視覚が発達したようです。

 では、臭覚は鍛えられるものなのでしょうか?ワインのソムリエや化粧品会社の臭気研究員など臭気のプロがいます。(臭気のプロは臭気判定士の国家資格を取得しなければなりません。)筑波大学の綾部早穂教授の著書「感覚・知覚の心理学」には、動物は先天的に臭いの好き嫌いを判断しているのに対して、人は後天的に獲得したと書いてあります。これらの事を証明する実験が行われていました。バラの香りで満たした小部屋と、うんちの臭いのする小部屋の2つを用意し、母親とその子ども(2歳児)の30組に臭いを嗅いでもらった結果、母親の8割がうんちの方に不快と感じたのに対し、子どもには差がありませんでした。動物の実験も記されていました。実験室で生まれたマウスに天敵のキツネの糞に含まれる臭いの分子を嗅がせると、キツネに遭遇した経験がなくとも逃げる行動をとりました。実験で、動物は先天性、人間は後天性であることが証明されました。人間は3歳以上になると徐々に大人のような好みを示すことから、人は学習や経験で臭いの好みが決まっていくようです。綾部教授は「においが生活の中でどんな価値があるか、知識を身につけることで、好みが変わっていくのかもしれない」と指摘しています。全ての人がバラの香りに癒されるとは限らないし、嫌な臭いも時間が解決するかもしれません。
 動物にあるフェロモンが、人にもあるかどうか突き止めようと試みる実験もスイスの研究所で行われています。男女6人が数日間着用したTシャツに染み込んだ汗のにおいを、男女121人に嗅がせました。研究員たちは、免疫に関する遺伝子型が自分とは遠い人の臭いを好むと思っていましたが、予想に反して遺伝子に関係ない結果が出ました。人間はフェロモンよりも、コミュニケーションで臭いの好き嫌いが決まるようです。人間の唯一のフェロモン行動は、親が赤ちゃんの頭のにおいをいとしいと感じることだそうです。

 私の周りには自分と同じ匂いのする人物がいます。体臭ではありません。人生観、生き方、言葉には言い表せない何かです。その人の行動、言語、癖は、外から自分を見ているようです。(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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