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■ 2018年06月:KEY WORD 先生

 我々が初めて接する先生は、幼稚園の先生でしょう。その後、小学校では一人の先生に勉強を教わり、中学生になれば教科によって異なる先生に勉強を教わります。高校に進むと教科が分割されて、中学生よりもより多くの先生に教わることになります。大学に進むと、自分の意思で先生を選ぶ事ができるようになり、ゼミでは教授の色が濃い専門の学問に没頭することになります。私の場合は、三重県の田舎で、戦後の時代的背景もあり、幼稚園がありませんでした。小学校で初めて先生に接することになり、1年生の担任が福島先生でした。

 先生と聞くと、最初に思い浮かべるのは、学校の先生ですが、先生と呼ばれる職業は教師だけではありません。それでも限られた職業であることは確かです。教師の他に、弁護士、政治家、作家、漫画家、そして医師があります。先生と呼ぶ職業の共通点を考えてみると、専門の勉強を積み重ねた人となります。でも、専門の勉強と血の滲む様な訓練を受けた宇宙飛行士は先生と呼びません。哲学的になりますが、先生とは他人を導く立場にある人と仮定すると、会社の社長は、社員を導く立場にありますが、先生とは呼びません。もう一歩進めて特殊な技術や資格を持っている人と言い切ってしまうと、有名店のシェフは技術や資格があっても、先生とは呼びません。私の独自の推測ですが、先生と呼べる人は、自分には解決できない重大な問題を抱えた時、勿論、治療方法の分からない病気も含めてですが、助ける力を持った人に対して先生と呼び、頼るのではないでしょうか。頼る事で指導してくれる人が先生なのです。例えば、作家、漫画家、そして作曲家の人達を初めて先生と呼んだのは、編集者の方々だと言われています。その先生達に個性的で、独特の表現で作品を書いてもらわないと本や歌が出せない。編集者の人達が仕事にならないからだと思います。違った側面から見れば「教師さん」「作家さん」「漫画家さん」では何か間が抜けている様に思えます。「先生」は、尊敬でき、広範囲に使える職名なのです。

 私にも忘れられない先生がいます。その先生は「アルキメデスのお風呂」の話をしてくれました。内容は、次のようなものです。アルキメデスが王様から、金の王冠に銀が混ざっていないか確かめるように申し付けられました。今から2.000年前のギリシャですから、金銀の分析方法も知りません。アルキメデスは金と銀の重さを比べると銀の体積は金の約2倍になり、銀が混ざっていれば金だけの王冠よりも体積が大きくなることを知っていました。王冠は複雑な形で、立方体にする事ができず、毎日悩み続けていました。ある日、アルキメデスは、お風呂に入った時、お湯があふれ出る様子を見て、「王冠を水に沈めて、あふれ出た水の量が王冠の体積だ」と閃きました。金と銀の混ざった王冠と同じ重さの金を水の中に沈め、溢れた水の体積が違うことから、王冠に銀が混ざっていることを確かめたのです。この話をされた先生の姿、場所を克明に覚えています。以前にもオイロン通信で書きましたが、中学の入学式後、クラスの担任の先生が、「人間は考える葦である」と話され、大きく黒板に書きました。何だろうと思ったものですが、その時のことも同じように覚えています。

 永六輔さんの本に、「人間は二度死ぬ」と書いてありました。一度は心臓が止まり、葬儀を済ませた時です。そしてもう一つは亡くなった人が、自分の心から、頭から消えた時だと。「アルキメデスのお風呂」を話された先生は亡くなりましたが、私の頭の中では鮮明に今でも健在です。私達は職業柄、感受性の強い時期の生徒や、その御父母さんに接する時間が多いです。心の中や、頭の中に、いつまでも生き続ける授業やアドバイスをしたいものです。対、生徒、御父母だけでなく周りの人達も!(典)

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あきらめたらあかん/伊藤典男 著

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